理事長のご挨拶
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地域医療の担い手として
広野高原病院は神戸市西区、三木市の町の発展とともに歩んで参りました。私自身も病院の敷地内で生まれ育ち、雄岡山を見ながら虫取りに励んだのを覚えております。 当院は回復期リハビリテーション病床・療養病床・透析施設を有し、敷地内に介護老人保健施設・居宅介護支援事業所を有しております。
元気に社会生活に復帰する事、長く健康に御自宅で過ごす事、穏やかに療養生活を過ごす事を大事に考えます。特にリハビリテーションにおいて、 お口から食べる事、自身の足で歩く事(補助があったとしても!)はチーム一丸となり取り組んでいます。皆様の頑張りを是非我々にサポートさせて下さい。町のかかりつけ医として
ご両親の世代から当院へ通って頂いている方も多くおられます。
もしかすると顔なじみの職員もいるのではないでしょうか。「気になる症状があるんだけど、、」「何科に掛かったら良いのだろう、、」 「健康診断で悪いと言われたけどホントに治療しなきゃいけないの!?」 「歯が痛いよ、、」「視力が落ちてきたなぁ、、」「皮膚にブツブツが!」何でもまずはいらして、お話を聞かせて下さい。 同じ地域に住む皆さんを、家族と同じように「大切な人」として接する事が大事だと考えています。
自分の母なら、父ならどの様に説明するだろうか。常にそういった気持ちを忘れず、皆様の「かかりつけ医」になりたいと考えます。未来に向けて
これから人口減少、超少子高齢化社会を迎えるにあたり、課題は山積しています。
当院の強みである、地域の皆様との近さ、大病院にはないフットワークの軽さを武器に、時代が求めるニーズ、地域が必要としていることは何かを常に考え、 進化し続ける病院である事を誓います。この地で、これからも地域の皆様と共に歩み、必要とされる病院であり続けたいと考えています。
理念
- 地域住民の健康と生命そして心をささえる、安心と信頼の医療を目指します。
- 私たちは地域における民間病院としての誇りをもって模範的医療を実践し、地域の皆様に信頼され安心で思いやりのある医療の提供に貢献します。
運営方針
- 患者様の権利を最優先に考慮します。
- 地域病院として地域に密着した医療サービスの充実を図ります。
- 高齢化社会に対応すべく予防医療、回復期医療、慢性期医療、在宅医療に応える医療体制を整備します。
- 病院職員は患者様の早期社会復帰の為に技能の向上に研鑽し、チーム医療の徹底化を目指します。
- 病院職員の自己実現の場(施設と機能)を提供し、職員の満足度、充実度の向上を目指します。
- 病院は環境の保全を常に考慮し、豊かな社会環境の実現に貢献、努力します。
- 経営基盤の確立を図り、効率的な病院運営と健全で安定した病院経営に努めます。
沿革
昭和29年 9月 | 医療法人博愛会として安田病院につぎ結核療養所『広野高原病院』を設立(50床) |
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昭和31年 | 33年・34年・36年と増築を重ね、4病棟と治療棟を持つ300床の結核療養所に発展し、京都大学 長石教授のご指導で胸部外科手術を開始 |
昭和42年12月 | 結核患者の減少と老人病の増加に対処し老人病棟「薫風荘」を増設 |
昭和44年 9月 | 脳卒中後遺症リハビリテーション施設「春風荘」を増設、病床391床となる |
昭和48年 8月 | 近隣住宅の急増と施設老朽化に伴い施設整備の為、管理治療棟増設、 一般病床50床を開設、地域医療に応えるべく一般病院の形態とする |
昭和52年 2月 | 神戸市西区二次救急病院の指定を受ける |
昭和60年 1月 | 本館完成 近代的病院としての完成を見る |
平成元年10月 | 給食施設、食堂、売店などのサービス施設を増改築 |
平成 3年11月 | 安田病院閉院 |
平成 4年 5月 | 介護老人保健施設「緑風苑(西館)」開設 |
平成 5年 5月 | 基準看護開始 |
平成 7年 8月 ~平成10年 5月 |
阪神淡路大震災による仮設入居者の為、西区櫨谷町に仮設診療所設置 |
平成12年 6月 | 結核病棟廃止 |
平成14年 4月 | 緑風苑(東館)開設 |
平成15年10月 | 新病棟竣工 |
平成16年 5月 | 回復期リハビリテーション病棟開設 |
平成16年11月 | 人工透析室開設(5床) |
平成18年 5月 | 人工透析室を10床に増床 |
平成21年 6月 | 人工透析センター開設(20床) |